映画「君の名は。」を民俗学的に考察してみる。

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画像引用元:http://eiga.com/

 

ごきげんようバビです。

 

昨年劇場にも観に行った新海誠監督の「君の名は。」のブルーレイを先日買いまして(はじめてDVDではなく、ブルーレイを買いました!)、改めて見直したらこれはこういうことなんじゃね?という考察をいくつか思いついたのでメモ書き程度に書いてみたいと思います。

 

あ、ネタバレも含みますので、まだご覧になっていない方は見てから読んでくださいね。 

 

 

君の名は。」について

君の名は。」はどういう作品かなんて、もう今さら私ごときの解説は不要かと思いますので、割愛します。

www.kiminona.com 

 

新海誠について

私的には新海監督は、「ほしのこえ」でアニメ界にエヴァンゲリオン以来のとんでもないインパクトを与えた超新星として記憶してまして、当時、書店の棚一列まるまる「ほしのこえ」一色になっていたことを記憶しています。

ほしのこえ」がどれだけ凄かったかは、こちら↓の方の記事がとても詳しいです。

d.hatena.ne.jp

 

ティアマト彗星と神楽舞

ティアマトとは

ティアマトとは、メソポタミア神話における原初の海の女神のことで、その姿は「大洪水を起こす竜」やウミヘビの姿で表されています。

海や水に関する神様は、古来から竜=蛇がその象徴とされるのは全世界共通です。川の流れの姿と重ねてそのように信仰されていると言われています。

ティアマト彗星はおよそ1200年周期で地球に最接近しており、1200年前の最接近時に落ちた欠片によって糸守湖が生まれ、2400年前の隕石で御神体のあるあのクレーターが生まれたものと思われます。(それより前は割れても落ちなかったのかな?)

御神体

隕石落下前の糸守は山間部にあったことから水源がなかったとは思いませんが、1200年前の隕石によって湖が生まれ、豊富な水源が確保できたことは、集落の発展に大きく寄与したことでしょう。そう考えると、彗星は落下による災害をもたらす荒魂(あらみたま)であると同時に、水をもたらす和魂(にきみたま)として信仰の対象となったと考えられます。

となると、おそらく御神体は彗星の欠片なのではないかと思われます。

神楽舞

宮水神社の神楽舞では、竜がとぐろを巻いた姿の装飾に、赤い細長い布のついた鈴を手に、三葉と四葉が踊っています。

これはおそらく過去2度の彗星落下を象徴しているものと思われますが、作中に登場する「繭五郎の大火」によってその意味自体は消失しているため不明とされています。

 

かたわれ時と境界

かたわれ時

最初のほうで三葉が古典の授業を受けているシーン。

この映画のテーマのすべてが詰まっています。

「たそがれ時」=「黄昏時」と書き、「黄昏」は古くは「たそかれ」と言い、漢字で書くと「誰そ彼」、つまりは「誰ですかあなたは」とたずねる頃合いとして、日没直後を意味しています。

また、対になる表現として、「彼は誰時(かわたれどき)」という、夜明け前を表す言葉がありますが、「誰そ彼」も「彼は誰」も元々は夜明け前・日没後の薄明帯を区別せず呼んだと推測されています。

糸守町では「誰そ彼時」を「カタワレ時」と呼んでいると生徒の一人が発言しています。

(ちなみに教えているユキちゃん先生は、新海監督の前作「言の葉の庭」の雪野先生だそうです。)

「カワタレ(彼は誰)時」であったものが、かつて割れた彗星の片割れが落ちてきたことの恐怖の記憶から「カタワレ時」に変化したのではないかと推測されます。

黄昏時は「逢魔が時」とも言い、これは端的に言うと、「この世あらざるものと出会う時」のことを差します。

昼と夜、現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)の境界の時間であるため、現世の住人である私たち生者と死者とが同時に存在できる時間帯となるのです。

現世と幽世の境界

また、この現世と幽世の境界というのは、時間の境界だけでなく、場所的な境界においても適用されます。

分かりやすく言えば川の向こうとこちら側、仏教でいう彼岸と此岸がそれです。三葉と入れ替わった瀧が口噛み酒を納めに行くシーンで、小川を越えて行きます。あれは千と千尋の神隠しで千が渡った川と同じく三途の川を象徴しています。

御神体のあるクレーターの淵も同様に彼岸と此岸の境界線上であり、カタワレ時のあの場所は、時間的・場所的両方の境界線上であるため、生者である瀧と死者である三葉が出会うことができたのです。

そのためかどうかは分かりませんが、二人か邂逅している間、直前まで見えていた山の下の糸守町の風景は雲海に覆われ、そこが現世ではないことを表しています。

禊の雨とおむすび 

瀧が御神体の場所に行く際に雨が降りますが、 これは、「禊(みそぎ)の雨」といって、神様が喜んで迎えてくれている証です。

口嚙み酒を納めたのは瀧であるため、その瀧が戻ってきたことを御神体が歓迎しているということでしょうか。あるいは三葉を含めた糸守の人々を救う存在として歓待しているのかもしれません。

雨の中、大きな岩の下でおにぎりを食べる瀧。おにぎりはおむすびで「お結び」です。御神体の大岩の下では同じく米からできたヨモツヘグイである酒を飲み、ここでは現世の食物であるおむすびを食べるという対比が描かれています。

 

二人の邂逅の謎

入れ替わりの発動条件

宮水家の人間(女性に限られるのか?男性が出てこないので不明)は、入れ替わりの能力を持っていて、少女の時期に時間を超えて別の誰かと入れ替われるのですが、そのことを具体的には覚えていられないようです。

アナザーストーリーの小説で四葉が自分の口噛酒を飲んで過去の宮水家の人間になっていることを考えると、口噛み酒を飲んだ場合には、一時的に過去の宮水家の誰かになることができるのではないかと推測されます。

繭五郎の大火で目的と方法の一部は失われ、力だけが残っていたため、その力が何のためにあって、どう使うのかが分からなくなっているのではないでしょうか。

アナザーストーリーの小説で町の住民が宮水家の言うことに従っていた過去があることからかんがみるに、宮水家の人間はかつて、その手順を把握しており、未来視の能力をもっと完全な形で使いこなしていたのではないかと思います。組紐や口噛み酒はその儀式のためのツールとしての役割があるのです。

ヨモツヘグイと三葉の黄泉がえり

また、瀧が飲んだ口噛み酒は、日本神話でいうヨモツヘグイであろうと思われます。ヨモツヘグイとは黄泉の国の食べ物のことで、幽世に滞在するためにはこれを食べて幽世の住人になる必要があります。千と千尋で両親が勝手に屋台の料理を食べて豚になるのもそうですし、千尋がハクからもらうおにぎりもそうです。ただし、ヨモツヘグイを食べた者は現世に戻ることができなくなるとされています。

ただ、瀧が口噛み酒を飲んで入れ替わりを行った後、次に瀧の身体で目覚めるのは死後の三葉であり、それは生者でも死者でもないいわば境界線上の存在です。

時間的・場所的な現世と幽世の境界で、生者でも死者でもない2人は時間を超えて対峙し魂を元の身体に入れ替えたのです。彗星が落ちて死んだ記憶を持つ三葉が生き返り、過去を変えることができることになります。

(とすると、3年前を生きていた三葉は一体どこにいってしまうのかは謎ですが・・・。)

道祖神

二人が邂逅を果たし、三葉が父のところへ説得のためシーン。山から下りてきたところに1体の道祖神が置かれています。

道祖神は村内と村外の境界、つまりは現世と幽世の境界に置かれることの多い神です。

山が神域(幽世)であり、三葉がここではじめて現世へよみがえって来たことを意味しているのではないかと思われます。

 

↓こちらの書籍を読むと他のキャラの視点から「君の名は。」を掘り下げて理解することができるのでおすすめです。

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)
 

   

<番外編>宮水家の能力はスタンド能力なのではないか

と、ジョジョ好きの私は思いたいです。

スタンド使いになる条件の1つに、隕石由来の矢で傷付けられることがあります。また、第7部では「悪魔の手のひら」と呼ばれる地域に遭遇するとスタンド使いになるのですが、「悪魔の手のひら」は、かつて隕石が落ちた跡とされています。

ということは、落ちてきたティアマト彗星の欠片(たぶん御神体)に最初に触れた宮水家の人間がスタンド使いになり、それが受け継がれて、入れ替わりのスタンド能力を無意識に発動しているのではないかと・・・。

なので、御神体の近くまで行った瀧君にもスタンド能力が発動して、三葉との入れ替わりをもう一度行うことができたんだと思いたいですね。

スタンド名は「ラッドウィンプス」でどうでしょう。

 

まとめ

宮崎駿作品には、こうした日本神話や民俗学的要素がちりばめられています。これらがユングのいうところの元型として集合的無意識に訴えかけてくるため、宮崎駿作品は大人も子供も面白いと感じるのではないかと思われますが、こうして見てみると「君の名は。」についても同様のことが言えるような気がします。

三葉の名前が日本神話に登場するミヅハノメという神の名前からヒントを得ているそうですし、やたらと神社や水神に関係するワードが散りばめられているところを見ても、そうしたところを意識して作っているのかもしれません。(このあたりの考察をはじめるとどうもこじつけが酷くなりそうなので割愛します。)

この物語はアニメの王道である「ボーイ・ミーツ・ガール」作品であると同時に、古来からのおとぎ話や神話の多くに描かれる「黄泉がえり」の物語とも読み取れます。

このあたりも空前の大ヒットの要因なのではないでしょうか。